震災と人権~熊本地震から考える~



 皆さん こんにちは。ただいまご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。
 今朝8時30分のNHKのラジオニュースでは、昨年7月26日、神奈川県相模原市にある障害者施設「津久井やまゆり園」で19人が殺害され、27人が負傷した事件をめぐり、被告の裁判員裁判について、横浜地裁は、被害者を匿名にして公判を開くと決定したということを報じていました。刑事事件では、被害者はほとんど実名で審議されるのだそうです。それを匿名にして裁判をすることは、障害者に対する日本国内の大きな課題、障害者の人権課題があるように思います。昨日の、1周忌追悼式でも祭壇には遺影はなく、入所者が折り紙で作ったヤマユリが飾られていたそうです。神奈川県知事は、追悼の言葉で遺族や園職員から聞いたという19人のエピソードを一人ずつ紹介し、「私たちは決して忘れません」と呼びかけられたそうです。そして式典後、「本来は19人の名前を申し上げ、一人一人の遺影が飾られるべきだが、今の日本では許される状況ではない。残念に思う。」と障害者への差別が残る状況を振り返り、「共に生きる社会の実現を目指さなければいけない」と述べられたそうです。
 私たちは、知事がおっしゃった共に生きる社会の実現のためにこの問題を人権課題と受け止め、真剣に考えねばならないと思います。
 ところで、7月5日から6日かけての九州北部豪雨により、福岡県朝倉市、東峰村、大分県日田市では甚大な被害を受けました。専門家の話によりますと、今回のような短時間の豪雨は、日本全国どこでもこのような災害を発生させるそうです。それは、日本国土は、岩盤の上に火山灰が堆積してできた地層だからだそうです。ある程度の吸水力や保水力は働くが、限界に達すると岩盤と堆積土との間に水が流れ、土砂の流出につながるのだそうです。これが大量の雨水と土砂そして流木が下流に流れ下り、大災害となったのだそうです。30名以上の方が犠牲になられ、未だ行方不明の方もいらっしゃいます。一刻も早い、復旧復興を願います。
 熊本県でも、昨年4月、大地震に見舞われました。
 4月14日午後9時36分、私はちょうど風呂に入っていました。突然、風呂桶が重機か何かで揺さぶられるような感じがしました。風呂の湯がバチャバチャと暴れ出し、湯船からこぼれ出ました。一瞬、何が起きたか分かりませんでした。「地震だ!」と気づき、裸のまま風呂から飛び出し、「良子大丈夫か!」と大声で居間にいる妻を呼びました。妻も、ドーンという音、下から突き上げられるような揺れ、そして、居間に掛けている絵馬がガチャガチャ音を立てて揺れ出し、「何が起こったのか!」と思ったと言います。激しい揺れにもかかわらず、幸い、我が家は無事でした。その後は、30分間隔ぐらいで震度5弱から6強の揺れが間断なく続きます。揺れる度に身構え、家が倒壊しないだろうかという恐怖でいっぱいでした。その夜は、外にいつでも飛び出せるようにと居間の炬燵の中で寝ました。明くる朝、2階の寝室に行きますと、書斎と寝室を仕切っている作り付けの本棚が70cmほど動いていました。それを見てさらに恐怖に見舞われました。長男が来て、「ここに寝るのは危ない。隣の部屋で寝た方がいい。」と言います。一時は、私たち夫婦もそうしようと思いましたが、2階より1階が安全だろうと1階の座敷に寝ました。1階に寝て正解でした。16日1時25分、震度7の本震に見舞われました。近くに住む弟が、「兄ちゃん、大丈夫か!家の中は危ない。家の近くの駐車場を開けてもらった。そこで車の中で寝よう!」と言います。その晩は、車中泊でした。その後も車中泊を1週間ほど続けました。明くる朝、2階に上がってびっくりしました。妻が嫁入りの時持参した和箪笥の上段は、下段の上に乗ったままの状態で2mほど離れた床に落ちていました。下段は、横に倒れていました。この部屋に寝ていたら、今、ここにはいません。おそらくタンスに押しつぶされて圧死していたでしょう。隣の部屋も本棚が倒れ、書籍が散乱し、内壁がはがれ、整理ダンスも倒れていました。幸いにも我が家は、外壁に亀裂が入ったり、内壁が一部損傷しただけで、後日の被害状況調査では、一部損壊ですみました。ブロック塀は一部倒壊しました。
 沼山津の実家が心配になり、沼山津へ行くと、道路は亀裂が走ったり、デコボコ隆起したり、陥没したりしています。倒壊した家が道路をふさぎ、車で行くことができませんでした。歩いて実家まで行くと、実家は傾いていました。老齢の母は、余震の続く中、甥が必死で助け出したと言うことで、安堵しました。益城町の役場へ行くと、事務室の風景が一変していました。スチール製の机が、せりあがり、重なり合っています。ちょうど、真冬、諏訪湖の湖面が凍り御神渡りという光景を見るでしょう。あのような光景でした。4月14日から16日までの3日間で震度5強以上の揺れが10回も襲いました。車中泊中もラジオからは、緊急地震速報が流れます。気象庁の予報は、「今後1週間程度は、同程度の揺れが発生する危険性があるので厳重な警戒が必要です」がほとんど連日繰り替えされました。この地震は収まるのだろうかと不安でいっぱいでした。
 揺れがどのくらいかを伝えるのは難しいのですが、4月14日の前震が起きたとき、上益城教育事務所では数名の指導主事の先生方が仕事をしていたそうです。突然の揺れに思わず机の下に潜り込んだと言います。しかし、潜り込んだ机が動き出すので机の脚を必死につかんでいたと言います。机が動き出したと聞いて驚きました。益城町の文化会館の3mほどの高さの法面が崩れて道路を塞いでいました。法面の崩壊は何カ所もありました。倒壊した家屋が道路を塞いでいるところも何カ所もありました。益城町の飯野小学校では、グランドピアノがひっくり返っていました。縦長のアップライトピアノなら分かりますが、3本足で安定しているピアノがですよ。また、益城町役場の駐車場に避難している人の話によると、本震では、3階建ての役場庁舎が浮き上がったと言います。川に架かっている橋という橋が道路と50cmから1mほど段差ができていました。田んぼの麦畑の畝が1mほど横にずれているところがありました。このような壊滅的な被害の状況を前に、この先どうして過ごせばよかろうかと絶望感でいっぱいでした。地震後、避難所や車中泊、テント生活を続けているところに、全国から災害ボランティアの人が復旧を手伝いに来たり、支援物資が届きはじめ、だれ言うとなく「地震に負けておらるっか!」と前を向いて生活するようになりました。避難所生活をして感じたことを益城中央小学校の6年生が次のように綴っています。


                                                  熊本地震を振り返る

 昨年の4月14日と16日に熊本地震があり、ぼくの住んでいた家が壊れてしまいました。ぼくの家族は、2週間ほど車中泊をして、1ヶ月半ほどテント生活、2ヶ月半ほど益城町総合体育館で避難生活をしました。車中泊では、食べるものが無く、炊き出しのおにぎりをもらうのに2時間以上並んだりしました。テント生活では、電気のない生活がとても不便でした。避難所では、毎日冷たいご飯で、温かいご飯が食べたいなと思っていました。それから、仮設住宅に移って温かいご飯が食べられるようになってうれしかったです。仮設住宅に入ってからもいろいろな方から支援してもらいました。こらからは、ぼくたちが復興に向けてがんばろうという気持ちになりました。
 ぼくの将来の夢は、薬剤師になることです。なぜかというと、地震後、約4ヶ月の避難生活の間に、何度も熱を出してしまい、そのたびに、救護班の薬剤師の人たちが来てくださいました。そのとき、やさしく接してくれました。この姿を見て、ぼくも将来、やさしく接することのできる薬剤師になりたいと思いました。そのことを家族に話したら「勉強をがんばらんといけんね」と言われました。だから、ぼくは、勉強をがんばって薬剤師になろうと思いました。
 地震後、いろいろな人に支援してもらいました。その方々に、とても感謝しています。もし、次に他の場所で地震や災害があったら自分たちにできることを考えて支援していきたいです。

 この間、流言飛語が飛び交いました。一番ひどかったのは、「動物園からライオンが逃げた」がインターネット上に流れたことでした。しかもライオンが路上にいる写真付きです。
 昨年7月21日の熊日新聞記事を読んでみます。


                                              「ライオン逃げた」デマ投稿か

 熊本東署と県警サイバー犯罪対策課などは20日、熊本地震の前進直後に熊本市動物園からライオンが逃げたというデマを単文投稿サイト「ツイッター」に投稿したとして、偽計業務妨害の疑いで、神奈川県、会社員佐藤一輝容疑者(20)を逮捕した。災害時にインターネット上にデマを書き込んだとして逮捕されるのは、全国初。
 逮捕容疑は4月14日午後9時52分、自宅でツイッターに「おいふざけんな、地震のせいでうちの近くの動物園からライオン放たれたんだが熊本」という文章と路上に立っているライオンの画像を投稿し、同園の業務を妨害した疑い。
 県警によると、投稿は1時間で2万件以上リツイート(転載)されて広がり、同園には市民から100件以上の問い合わせの電話が相次いだ。佐藤容疑者は、「みんなを驚かせようと悪ふざけでやった」と供述しているという。画像はスマートフォンでネットから探し出し、ダウンロードしたらしい。
 岡崎伸一園長は「情報が混乱している中で、ありもしない情報を発信するのは極めて遺憾。多くの方々が心配されたはずで、今後このような虚偽の情報発信がないように願っている」とのコメントを出した。
 熊本地震では、「大型ショッピングセンターで火災」など、様々な悪質なデマが流布した。

 車中泊している時、弟が私に「まーだ太か地震の来るって、息子が熊日から聞いてきた。」と言います。「そぎゃんこつは、人には言うなよ!人ば不安にさせる。」とたしなめました。人が流言飛語を流すとき、少しでも信憑性があるように、その根拠を示します。「熊日が」とか、「○○さんが言いよる」など。
 このような流言飛語に惑わされないことです。大災害時こそ、どの情報が正しい情報かを判断し、自分に必要な情報を選択し、判断し、行動する情報選択力が必要になります。この情報選択力を日頃から身につけておくことが大切だと強く思いました。そのためには、日頃から、正しく学び、正しく理解し、相手の立場に立って判断し、行動する力を身につけておくべきだと思います。地震情報に関する正しい情報は、日本気象協会が発する地震情報のみです。
 しかし、次のような善意とも受け取れる情報は、かなりの人が本当と思ってしまいます。


 明後日4月20日西原小学校にて朝11時より肉100キロ焼きます。料金無料。良質のタンパク質を子供達に届けたいとの思いがあり、鹿児島の肉屋さんと、造り酒屋さんの協力のもと炭火焼BBQをいたします。子供、お年寄り優先だとお考えください。何も持ってこなくて大丈夫です。すべてこちらで用意します。
 また、肉とキャベツしか用意していませんので、果物とかご協力いただけると助かります。
 震災の中、少しでも子供達の笑顔が見られるといいと考えています。拡散お願いいたします。
 小学校の住所です。熊本市東区新南部3丁目4番60号
 以上です。拡散お願いします。

 これに対して、西原小学校がこれを否定する注意喚起を行いました。


【注意】SNSの情報にご注意を!
2016/4/19(金)

 昨夜からSNS等で「4月20日西原小学校にて朝11時より肉100キロ焼きます」という内容の投稿が拡散されていますがそのような事実は一切ございません。またその件についてのお問い合わせが昨夜から多数あっており、学校・避難所としての本来の業務に支障を来しています。もしもご友人間等でこの件が話題になりましたら「事実ではない」ということをお伝えいただきますようお願いいたします。

 単なる悪ふざけの気持ちでこのような偽の情報を流したら、それによって社会が大混乱することがあります。恐怖がさらに膨らむことがあります。そこの本来の業務ができなくなることがあります。非常時だからこそ、悪ふざけなどしてはいけないことです。
 流言飛語とは、根拠のない情報のことです。根拠がないのに言いふらされる風評のことです。うわさです。
 先ほど教育長はご挨拶の中で、水俣病問題と風評被害についてお話されました。この風評は流言飛語から出ているものだと思います。熊本県が早急に解決しなければならない人権課題として啓発活動に力を注いでいます、同和問題、水俣病問題、ハンセン病問題、これらすべてが風評から起きた人権問題です。
 「同和地区の人はおそろしか」と聞いたことがあります。「何か怖いめにあわれたのですか?」と聞くと、「自分は怖いめにはあってはいないが、だっでんそぎゃん言う。」と言います。「私は一つも怖いめにあったことはありません。どなたから聞かれたのですか?」とさらに聞いても、「誰でも言う」です。何の根拠もない同和地区の人に対する風評が同和地区の人に対する予断と偏見を生み、同和地区の人に対する差別意識が心の中に刻まれているのです。
 水俣病問題もそうです。昭和30年代、水俣病の原因が分からない頃、人々は、遺伝だとか、恐ろしい病気だと思っていました。それが窒素水俣工場の廃液に含まれる有機水銀を大量に摂取した魚を食べた人に発症する公害病と認定されたにも関わらず、今でも「うつる病気」と思っている人がいます。数年前、中学生のサッカーの練習試合中に、ボールを奪おうとせめぎあっている時、ベンチから「水俣病 うつる 触るな!」の声が飛んだことがありました。
 ハンセン病も間違った風評が広がって、ハンセン病に対する理解違いが生じたのです。現代の衛生状態や栄養状態から考えると、ハンセン病の感染率はきわめて低いと言うことが分かっていたのですが、ハンセン病を発病した人は、療養所に隔離されました。熊本県では、菊池惠楓園です。このことでハンセン病は怖い病気と理解違いして、ハンセン病回復者の方への差別が広がっていったのです。
 これらに共通することは、真実は何かを知ろうとしないで、人づてに伝わってきた風評をそのまま信じて、自分の行動へと結びついていることです。
 私たちは風評を聞いたとき、本当にそうなのかと問い直し、そのことについて正しく学び、正しく理解することが大切だと思います。
 本日は、時間がなく、同和問題、水俣病問題、ハンセン病問題に触れることはできませんが、真実を知らない人が身近な人から間違った情報を得て、それによってマイナスイメージが増幅し、差別が起きることをご理解いただきたいと思います。ですから私たちは、何が真実かを正しく勉強し、正しく理解し、相手の立場に立って判断し、行動することが大切なのです。
 熊本地震での流言飛語は、乱れ飛ぶたくさんの情報から何が真実か、自分にとって何が必要かを判断する力を身につけていくことの大切さを教訓として私たちに教えてくれました。
 熊本地震の避難所での生活に見られたことのいくつかをご紹介します。
 各地の避難所では、「お年寄りや身体が不自由な人をみんなで支えましょう。」を合い言葉に「共助」、「互助」の精神でみんなで力を合わせて生活されました。その例として、「みんなが安心して過ごせるようルールを作りましょう。」とか、「男性は外のトイレを、子供と女性は室内トイレを使いましょう。」などがあります。現在は、ほとんどが水洗トイレです。断水で水が出ません。このことで、阪神淡路大震災の時は、トイレの衛生状態が非常に悪化したと聞いています。トイレに行くときは、バケツで水を持って行かねばなりません。トイレの行くたびに水を汲んでいくのではなかなかトイレに行けません。ですから、トイレの近くには、プールから水を汲んできたバケツが並べてありました。水汲みもみんなが力を合わせて行ったのです。これらは、「相手を思いやる心」、「気遣い」、「つながり感」、地域の人同士の「絆」の表れです。 
 益城町の広安小学校体育館で避難生活をしていた放課後子供教室ボランティアの人から聞いた話です。
 「家は全壊で、広安小学校に避難していたもののこれからの生活を思うと不安で不安で仕方ありませんでした。そんなとき、『そろばんの先生、大丈夫でしたか』と子供教室で学んでいる子供から声をかけられました。この一声で前を向いて生きていこうとの気持ちが沸きました。」子供たちと指導者がつながっていることを実感しました。
 「ハッピー バースデイ ツー ユー」の誕生日を祝った逸話は、宇土東小学校でのことです。宇土東小学校の避難所で、一人の高齢の方と小学校低学年の兄弟の出会いです。いろんな話の中で高齢の方が「明日は、私の誕生日」とおっしゃったそうです。それを聞いて、兄弟は「ハッピー バースデイ ツー ユー」と歌い始めたというのです。「今日ではないのよ。明日よ」と言っても歌を止めなかったので、うれしくて涙が止まらなかったそうです。あまりのうれしさに名前を聞くことも忘れていて、避難所生活も終わり、我が家に帰ってから、お礼を言いたいと何度も学校に出向き、先生方に「誕生日を祝って歌を歌ってくれた子供さんを探してください」と頼まれたそうです。学校でも子供たちに聞いたそうですが、「ぼくです」と手を挙げる子はいなかったそうです。それが、今年の5月に行われた運動会の場で、高齢の方が「どうしてもお礼が言いたいので、探してください」と言われたそうです。先生方も学級で子供たちに尋ねられたら、ようやく3年生の子が「ぼくです」と手を挙げたそうです。高齢の方は、その子供に何度もお礼を言われたと聞きました。地震直後の混乱した状態の中で、誕生日を祝ってくれた子供の歌で、前を向いて生きる気持ちが湧いて来ましたという高齢の方の気持ちが痛いほど分かります。顔見知りでもないのに避難所で一緒に暮らした人の誕生日を祝う子供の優しさに胸打たれました。
 益城町の飯野小学校での話です。学校の避難所は、体育館ばかりでなく、教室も避難所として使っていました。5月、学校再開が明日に迫った日、校長先生は、「皆さんがここ(教室)にいらっしゃっても子供たちは勉強できます。どうぞそのまま使ってください」とおっしゃったそうですが、避難している人は、「明日から勉強が始まるそうですね。教室は子供たちが勉強するところです。子供たちに迷惑はかけられません。教室から出て行きます。」と言い、「子供たちが気持ちよく勉強できるようにみんなで掃除して返しましょう」とみんなできれいに掃除して出られたそうです。この飯野小学校では、運動場に仮設住宅が建っています。現在は、仮設住宅入居者の方との交流を続けています。今学校は、「地域とともにある学校づくり」を進めています。学校は地域の人への「感謝」、地域は学校への「感謝」の現れだと思います。
 大地震や集中豪雨での災害は、日常の生活を一瞬にして壊してしまいます。人々の心は平常ではありません。だからこそ密接な関係にある、「災害」と「人権」について、日頃から学んでいくことは大切だと思います。ある研究機関が、「地震など災害が起きた場合に、どのような人権問題が起きると思いますか」を調査しました。その主な回答は、
・避難生活でプライバシーが守られないこと
・要支援者(障害者・高齢者・乳幼児・妊産婦等)に対して、十分な配慮が行き届かないこと
・避難生活の長期化によるストレスに伴う嫌がらせやいさかいが生じること
・デマ・風評などによる差別的な言動が起きること
・支援や被災状況などの必要な情報が行き届かないこと
・女性や子育て家庭への十分な配慮が行き届かないこと
などでした。
 避難所では、老若男女たくさんの人が同一場所で生活します。プライバシーを守ることは、最大の課題の一つです。ですから、みんなで最低限のルールを作り、プライバシーの保護を心がけています。益城町では、紙で創った間仕切りに布をかけて、ちょうど病室がカーテンで囲まれているような感じにして、中が見えなくなる工夫をしてプライバシーの保護に気を配っていました。
 乳児の夜泣き等で、迷惑をかけるから避難所には行けないという人もいたと聞きました。障害者や高齢者の人の中には、避難所内の移動に不便を感じる人も少なくありません。それぞれが相手の立場に立った配慮が必要です。
 災害時は、人々の精神状態は平常ではありません。普段なら腹もたたないことでイライラすることがあります。益城町の避難所では、みんなでラジオ体操をしたり、歌を歌ったりして心と体をリラックスする姿がありました。
 デマとか風評は冒頭述べたとおりです。
 情報提供や女性や子育て課程への配慮は後ほど述べます。
 人権尊重の最大の課題は「命を守る」ことです。命を守るには、生死を分けるタイムリミットとされる「72時間の壁」があります。熊本地震でも、余震が続き危険が伴う中で、消防団の人たちが家の中に閉じ込められた人を助けたり、赤ちゃんを救出したりしました。
 平成7年1月に起きた阪神淡路大震災では、淡路島にある北淡町(現在の町名は淡路市)では、消防団の人たちが生き埋めになった人を自主的に救出し始め、警察や広域消防と協力して地震発生後、11時間あまりで300名もの生き埋めになった方たちを救出することができたそうです。それは、日頃から地域のつながりが深く、所在確認をスムーズに行うことができたからだと伝えられています。 食料や水の備蓄は日頃から心がけておきたいものです。私は、水をよく飲みます。たまたま、熊本地震時は、飲料水を4箱確保していましたので、周りの人に分けてやりました。また、日頃から有事の時の避難場所や避難経路の確認、安全な生活の場は確保しておくことが大切だと思います。予断ですが、車のガソリンもたまたま前の日に満タン給油していました。車中泊時、冷え込んだときも安心してエンジンをかけ、暖房することができました。携帯の充電もいつも心がけています。
 災害は多くの命を危険にさらし、人々の暮らしのすべてを奪い、苦しみを強います。災害と人権侵害とは切り離せない関係にあります。だからこそ、こうして人権問題を日頃から考え、尋常でない時にいかに互いの人権を守るかを考えることが大切だと思います。
 そこに、災害弱者と言われる人たちの、避難所生活での「困りごと」をまとめてみました。
 まず、高齢者の人たちの困りごとです。
 大勢が密集して暮らしていますので通路は狭くなりがちです。段差もあります。それで、トイレに用を足しに行きづらく、つい我慢してしまいがちです。なるべくトイレに行かなくて済むように食事や水分を控えて、脱水症状や便秘など体調不良を起こしやすいと聞いています。私も膝が悪く、高い段差の上り下りは苦手です。また、躓いて転びやすいです。高齢の人への配慮が必要です。
 次は、障がい者の人たちの困りごとです。
 目が不自由な人がいます。車いすの人もいます。耳の聞こえが良くない人もいます。段差を一人で上がれない人がいます。一人ではトイレが使えない人がいます。洋式トイレしか使えない人がいます。一人での移動が困難な人もいます。いろいろな情報伝達が放送だけでは気がつかない人がいます。あるいは、聞き取れない、理解できない人がいます。外国旅行された方もいらっしゃると思いますが、外国旅行の時、機内放送が英語などの外国語だけだったりするときは、外国語を聞き取れない人には、何のことかさっぱり分からないでしょう。私の妻は少しだけ中国語が話せます。それで、二人だけでよく中国の新疆ウイグル自治区に行きました。機内放送はすべて中国語です。私は何かを放送していることは分かりますが、内容はさっぱり分かりません。「ただいま、○○の上空を通過しています」とか「到着時刻が予定より○○分遅れます」とかの放送は、妻の通訳でしか理解できません。一つの伝達手段ばかりではなく、他の手段も使うことはとても大事なことです。
 また、知的障がいや自閉症の人は、集団生活のなかでは大声を発したりじっとしておれないことがあると聞きます。乳幼児がいる家族は、夜泣きなどのために避難所に居づらくなる場合があります。このようなことへの配慮が大事です。
 女性や子どもの困りごとです。
 性被害を受けることがあります。熊本地震の避難所でも、若者が子供にいかがわしい画像を見せていたという新聞記事がありました。
 避難所や仮設住宅では、プライバシーなど個人の尊厳や幸福追求権の保障が大切です。
 災害時の人権をみんなで守るためには、「共に助け合う」地域づくりが最も大切だと思います。
 外国の人が、日本での大災害の様子をテレビ等のニュースを見て驚くことは、非常時であるにも関わらず、暴動が起きないこと、ましてや略奪などが一つも起きないことだそうです。阪神淡路大震災時も東日本大震災時でも、熊本地震でも、暴動や略奪が起きるどころか支援物資を整然と並んで受け取っている光景、中には、弱者と言われる人に順番を譲っている光景がテレビ等のニュースで流されます。大災害時だからこそ、地域みんなで力を合わせて助け合う、これが日本人のすばらしいところです。これを私は共助の精神の表れだと思っています。この共助、あるいは互助の精神は公民館活動から生まれたものと私は思っています。公民館活動とは、地域住民の、人と人とのつながりを大切にした地域づくりです。この地域づくりの根底に座っていなければならないものは、「思いやり」とか「助け合い」、「信頼」などの人権尊重の精神です。
 冒頭述べました、九州北部豪雨で甚大な被害を受けた大分県日田市花月川流域の自治会の取組を紹介します。
 ここは、平成24年にも豪雨で大きな被害を受けています。その時の教訓から次のようなマニュアルを自治会で作ったといいます。
  ・行政だけの情報に頼らず、自分たちが危険度を判断し、住民に避難を指示する。
  ・行政の情報だけに頼ることなく、自治会が独自に危険を判断することを盛り込む。
  ・緊急時に確実に集まることができる要員を洗い出す。
  ・支援が必要な住民の避難を誰が担当するのかを明確にする。
  ・住民の間でマニュアルへの理解の共有が進むよう、避難訓練を繰り返し実施する。
 このマニュアルに沿って、避難訓練を実施してきたそうです。それによって、今回の豪雨では、一人の犠牲者も出さずに、自治会の人全員が避難できたと言います。ある高齢の方がアナウンサーのインタビューに応えて、「うちの地区はみんながしっかりしているから、みんなの言うとおりにしておけば大丈夫」と言っておられました。自治会役員の人たちを信頼している言葉です。
 避難訓練では、熊本市の一人の校長先生から次のような言葉を聞いたことがあります。
 「これまで、学期に一度は避難訓練を実施してきた。しかし、熊本地震ではそれが生きて働かなかった。2度の地震が夜だったから子供の犠牲者は出なかったが、昼だったらと思うとぞっとする。これからは、最悪の事態を想定して、最小の被害で済む避難訓練をしなければならない。」
 私もそう思います。有事に生きて働く避難訓練をしなければ意味がありません。有事に生きて働くとは、行動面と心理面です。心理面については、これまで述べてきた人権尊重の精神です。
 災害時は自分のことで精一杯です。他の人のことまで考えが及びません。日頃から「恕」の心を持ちたいと思います。「恕」とは、論語に出てくる言葉です。「論語」とは、孔子が弟子たちに教え諭したことを弟子たちがまとめたものです。


  論語 衛靈公第十五 412

 子貢問うて曰く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。
 子曰わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。

恕:相手の身になって思い・語り・行動することができるようになること

 子貢とは、孔子の一番弟子です。その子貢が孔子に尋ねました。
 「先生からお教えいただく一語を心にとめて生きていけば、生涯、人としての道を過たずに生きていけるという言葉がありましょうか。あったら教えてください」
 孔子が答えました。
「その言葉は恕だ」と教えましたが、子貢には、よく分からなかったようなので付け加えて「自分の望まないことは人にしないことだ」と諭したと言われています。
 「恕」とは、相手の身になって思い・語り・行動することができるようになることだと訳されています。
 私はこの「恕」の精神が人権尊重の精神だと思います。
 ・声をかけ合い、力を寄せ合い、人を気づかい、助け合う“地域の絆”をつくりましょう。
 ・日頃から他を思いやる心を持ち続けましょう。
 ・非常時に生きてはたらく力を身につける防災訓練は、人権尊重の視点から実施しましょう。
 終わりに、ジョン・F・ケネディの言葉を紹介します。
 「国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか。」
 人権文化の花咲く地域づくりのために、自分には何ができるかを日頃から考え、上球磨地区が人権文化の花咲く地域となりますことを祈念して話を終わります。
 長時間のご静聴ありがとうございました。




人吉球磨人権教育研究協議会上球磨ブロック社会教育部会 感想



○今日の講演は、講師自身の体験話を交えて本当に実のある話でした。流言飛語について気をつけなくてはならないこと、日頃から人とのつきあいをしっかりしなければならないこと、正しい情報を思いやりの心で選択すること、共助・互助を大切に考えて生きていきたいと思います。

○風評被害はいろいろな場面で出てきますが、それに惑わされないような正しい理解、判断できるようにしなければならないと思いました。

○熊本地震の実情を知ることができました。避難所の中での話があったとおり、ともに助け合うことの大切さが分かりました。

○震災での体験を聞くことができ、共助の気持ちの大切さに気づくことができました。私も日頃から共助の気持ちを持って生きていきたいと思います。

○人権教育研究協議会研修会に参加した我々が、まだ残っている人権問題について周りの人たちに伝えていくことが重要だと思いました。

○“共助”ができる地域づくり。自分が住んでいる地域で、普段からコミュニケーションをとっていこうと思います。

○日頃から災害時を想定した訓練や避難用具の準備は行っているが、非常時に、余裕がない状態でも相手のことを考え行動できる感覚を養っておく必要があると感じた。

○震災はいつやってくるか分からないため、本日勉強させていただいたことを今後の生活にしっかり生かしていきたい。

○災害があったときにこそ、人を気遣い、ともに助け合って苦難を乗り切らなければならないと思いました。

○業務を遂行する際、最小限で効率的な事項のみを選んでしまい、画一的な対応をしてしまうことがあります。細かい配慮ができるように取り組んでいきたいと思いました。

○実際に体験されたことをもとに、大変わかりやすくお話ししていただきありがとうございました。

○何年も研修が行われているにもかかわらず、同和問題を始めいろんな人権問題が解決されていないのはどうしてかを考えていかなければならないと思います。
 これから先、どんな災害が起こるか分からないし、自分たちの地域でも避難生活をしなければならないかもしれません。今日の話を聞いて、災害時には共助と思いやりのある行動がとれるようにしたいと思います。
○具体性を持った地域づくりが大切。

○中川先生のお話、大変有意義なものでした。日頃から相手への思いやりの心“恕”を、そして、共助・互助の精神を持つことが、いざというときに発揮されるのだと思いました。ありがとうございました。

○正しい情報を正しく判断する力が必要。
 避難所での最低限のルールを作る。
 日頃の訓練の重要性。
 行政任せではなく、自ら危険度を判断し、地域で避難を指示する。
 自分がして欲しくないことは他人へは行わない。
このようなことを学びました。

○のど元を過ぎれば熱さを忘れてしまいます。が、やはり、常日頃から備えておかねばならないことがあることを再認識しました。最近の雨も、いつ、どこで、災害を引き起こすか分かりません。「そなえあればうれいなし」です。そして、共助の心を町民全員で共有したいと思います。

○地方でも、都市までとはいかないまでも、婦人会・老人会・子供会等の加入者が減少し、個々を重視する傾向があるように思える。何かあったとき、講話にあったように真っ先に動くのは自治会や消防団、婦人会等の団体であると思う。何かと行政に頼りがちであるが、個々を護り、地域においての住民の意思の疎通を図り、協力する体制を整えるためにも、各団体の必要性を考え直す必要があると思った。

○今回の地震は、(多良木では)幸いにして大事に至らなかったが、今後どのようなことが起きるか分からない。講師の先生の話を聞いて、参考になることが多かったので良かった。
 最近は、毎日夕立が来ている。以前は夕立が来ると、涼しくなっていたが、最近の夕立は益々暑さを誘っているように感じる。今後、地域はどのようになっていくのか不安である。

○「恕」の心を日頃の生活の中で意識して生きていこうと思います。ありがとうございました。
 球磨郡は、地域の繋がりが強いところだと思います。この地に生まれ、生活できる幸せを感じています。

○私は女性の会の一員として参加しました。一日に二つもの講演を聴くことができ、大変勉強になりました。地域の人たちと助け合い、自分を守り暮らしていけたらと思います。

○非常時に必要なものを再度準備しておくことの大切さを学びました。互助・共助の大切さ。自分でできることに目を向け、心を向けて、生きていきたいと思いました。
 災害時における行動の指針の自治会でのマニュアル作成。これは是非進めていきたいし、広めて欲しい。

○頭で理解しても、実際に私たちが災害を体験したとき理解しているように行動できるだろうか。今、私たちがやること、行動することは、常に自分が進んで様々な行動をすることが大切ではなかろうか。

○日頃から気をつけているつもりでも、つい、人の噂を信じてしまったりすることがあるので、今日の研修を聞いて、情報が正しいのかどうかを見極めなければならないと思いました。自分もまた、他人への思いやりが足りないのではないかと反省しています。少しでもよりよい生活ができるように頑張らなければと思える研修でした。
今日の中川先生のお話は、実体験に基づいたわかりやすい話で、大変勉強になりました。

○今日の話はとても感動しました。相手の身になって思いやり、正しい情報を持って行動することができるようになりたいと思いました。

○地区常会の時に、本日の講演内容を地区民の方に話をしようと思います。

○地震災害において生きて働くようにするためにも、日頃から「互助・共助」の気持ちを持つことがとても大切であることを教えていただきました。ありがとうございました。

○地域の生活の中で、意識を持ち準備しておくことの大切さ。地域のコミュニケーションの大切さ。花月川自治会のマニュアルがとても参考になりました。行政区にマッチしたマニュアルを作成したらよいと思います。大変勉強になりました。

○日頃より、「共に助け合う」地域づくりや「人と人の思いやりを大切にした」地域づくりが、求められている。日頃の取り組みが災害時に人権が守られる。
 災害時の流言飛語(風評)は、人権侵害となる。このためには、非常時に生きて働く力を身につけることが求められる。

○日頃からの思いやり、心がけがないと、非常時に対応できないことに気づかされました。人権感覚を持った地域づくりが必要なこと、恕の大切さを学びました。
 口で言うだけで、他人事として関わりを持とうとしない人が多いので、自分はそうならないように日頃から気をつけていきたい。

○今後の研修に大変良いと思う。社会教育の在り方、人権、共助、思いやりよく理解できました。

○災害時における人権問題の課題、取り組みについて学習できた。自治会活動の大切さが理解できた。

○話の初めで、「やまゆり園」の事件のことを話されたことが、とても気になりました。人権とは何かを自分に問われているような気がしました。
震災のことを例に挙げ、思いやりとは、自分を思うように他人を大切にすること、常に正しい情報で正しい判断ができるように常日頃から自分の気持ちを高めねばならないと思いました。
共助とは、公助とは、改めて考えさせられました。
○全体会も含めて今日はとても良い講演でした。知っているようで以外と分からない部分が多く、これからも前向きに努力したいと思います。

○災害はいつやってくるか分からないので、日頃から近くの人との付き合いでは思いやりをもって共助していきたいと思います。また、情報を知っておくことの大切さが分かりました。

○震災にあったそのとき、今日聞いたことが素直に実行できるだろうか。相手のことを心がけて、共に助け合う共助の心を少しでも持ちたいと思った。